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2015年8月10日月曜日

「教える」

先日、私の所属する東京弁護士会において、法廷弁護技術の研修が行われました。
私は、東京弁護士会で、法廷技術研修を統括運営する立場を務めると同時に、研修の講師も担当しています。

この研修は,裁判の法廷で行われる弁護活動を、実際の裁判さながらに受講生が実演をし、それに対して講師がコメントをする、という方法で行われます。
このとき,講師のコメントのやり方には,一定の決まりがあります。
それは,①伝えたいメッセージを簡潔に表現し②受講生の実演で問題のある部分を正確に引用し③何がまずいのか理由付けを述べ④具体的な改善策を示す という4つの手順です。

具体的にやってみましょう。
①伝えたいメッセージを簡潔に表現
「主尋問では、誘導尋問をしないようにしましょう」
②受講生の実演で問題のある部分を正確に引用
「今の実演で、あなたはこう証人に問いました。『そのとき、犯人の顔が見えたんですね』」
③何がまずいのか理由付けを述べ
「尋問者が、証人をある答えに誘導する質問、つまり誘導尋問は、尋問者の意図を証人に言わせているだけになってしまいます。検察官から異議が出ますし、裁判所にこちらの意図する事実認定をしてもらうこともできなくなります。主尋問では、オープンクエスチョンをして、証人自身に自発的に事実を語ってもらうようにしましょう」
④具体的な改善策を示す
「ですから、こう問いましょう。『そのとき、あなたには何が見えましたか』」

これは最も基本的な技術のひとつについてのコメントの一例を紹介したものですが、最近、この指導方法、何も法廷技術のみにとどまらず、「教える」ということに普遍的なものだと思うようになりました。
私は、大学院の後輩などに、司法試験の受験科目の答案について指導することがあります。
大学の部活の後輩に、(教えるほど上手でないことを百も承知で言いますが)テニスの指導をすることもあります。
そういうとき、私は常に上の指導方法を意識しています。
もちろんそのまま全部そっくり行うわけではありませんが、特に④具体的な改善策を示すということは、どんな指導にも不可欠だと思います。
優れた指導は必ず具体的です。「この答案の書き方はどうもわかりにくい」とか「君のフォアハンドはどうもよくないね」などといった抽象的な助言では何の意味もないのです。
どうすれば答案がわかりやすくなるのか、どうすればフォアハンドが良くなるのか、具体的にその人がどうすべきかを助言しなければいけません。「『~と解する』はやめて『~である』と書きなさい」とか「グリップを太くしろ!」とか、助言は具体的であればあるほど(それが取捨選択の対象になるという意味も含めて)役に立つと思います。

この助言には、助言をする側の能力がもろに出ます。
やってみるとわかります。自分が理解していないことについて、具体的な助言はできない。
法廷技術なら裁判の、法律の答案なら法律の、テニスならテニスの、深い知識と理解が求められるのです。

ですから、自分が「教える」機会のために、日々、いろいろなものに触れて刺激を受け、学び、知識や理解を深めるように努めなければなりません。
法廷技術研修や新人の指導など、自分が教える立場になることも多くなってきましたが、もちろん、まだまだ僕自身も足りません。これからも、自分に謙虚に、研鑽を積んでいきたいと思います。学んだことを他者に伝え、少しでも役立ててもらえればよいと思います。
そしてそのことこそが「教える」ことの本質ではないかと思う次第です。

さて、これから、明後日から始まる日弁連主催の3日間研修の準備です。