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2015年1月30日金曜日

「法律相談」

10日に1回!が途切れました。今月2度目の更新です。
だれも気にしてはいなかったと思いますが・・・

さて、おかげさまで、たくさんの法律相談のお問い合わせをいただいております。
当事務所のホームページ等をごらんになってのご相談が多いですが、時には以前の依頼人のご紹介ということもあり、うれしい限りです。
今日は、その法律相談のお話です。

法律相談の役割は、もちろん、法律にまつわる悩みをお聞きし、それに法的助言を与えることです。
この役割をもう少し細かく分割すると、「お聞きする」役割と「助言を与える」役割に分けられます。

まず、「お聞きする」ことです。
私の信条は、徹底的に依頼人の話を聞くことです。法的助言のためには、正確に事実関係を把握することが必要です。事実を間違って把握したら、正しいアドバイスはできません。
事実を正しく把握するためには、質問の技術が必要です。言葉のコミュニケーションというのはむずかしいもので、 同じことを聞くのでも、聞き方ひとつで全く把握できる事実が違ってきかねません。
たとえば、最も基本的な技術として「オープンクエスチョン」があります。「あなたの朝ごはんはパンでしたか?」ときくより、「あなたの朝ごはんの内容を教えてください」と聞くほうが、正確に朝ごはんを把握できるはずです。今のは一例ですが、こうした質問の技術を、ご相談の際、あるいは依頼人との接見の際など、人から事実を聞く機会には常に意識しています。
そして何より、ご相談者の立場に立って考えることです。何を聞きたいのか、何を求めているのか、相談者の気持ちに沿って、丁寧にコミュニケーションをとることは重要なことです。

そして「助言を与える」ことです。
親身になって話を聞くことは、ある意味、誰でもできます。
聞いてからも重要なのです。「お聞きする」段階での、相手の気持ちに沿うモードをいったんリセットします。親身になることは重要ですが、ご相談者に肩入れして肯定するだけでは正しいアドバイスをしたことにはなりません。的確に事実を分析して助言するためには、冷静な視点が絶対に必要です。
そして、助言はできるかぎり明確でなければなりません。もちろん、職業柄、「絶対こうだ」とは言いにくい場合がほとんどです。お医者さんと一緒です。しかし、「Aという選択肢もある、Bという選択肢もある、自分で考えてね」では、法律相談の意味はありません。
できるかぎり、明確に、「こうすべきだ」「こうなる可能性が高い」という助言ができなければなりません。

弁護士が専門的職業として提供する法律相談は、単なる人生相談であってはいけません。
事実を聞く技術、助言を与える技術、そのどちらもが専門的技術として提供されねばなりません。
しかし、わたしも人間です。
技術だけで動いているわけではありません。法律相談や事件を担当する中で、心を動かされることはたくさんあります。この方のためにできることをしたい、それが多くの事件での原動力となっています。
法律相談にいらっしゃる方は、皆、とても不安な面持ちでやってこられます。相談が終わり、いらした時とは違う少しほっとした表情でお帰りになるのを見ると、この仕事をやっていてよかったと感じます。

2015年1月12日月曜日

「冤罪」

ブログをいつもご覧の皆様,明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。


さて,新年初の投稿ということで,初心に返るというわけではないですが,昔の話をしたいと思います。
話自体は,とてもくだらない話です。


僕が小学生くらいの時でしょうか。
僕は袋入りのお菓子を持っていました。
小さな袋に入ったそのお菓子を,僕は食べていました。
お菓子の量も少なくなってきました。
僕は,残りのお菓子を食べてしまおうと,袋に口をつけて上を向きました。
お菓子を一気に口に流し込もうとしました。
その瞬間でした。
家族の一人が,僕に向かって「弟の分も残しておきなさい」と言ってきました。
しかし,その言葉が聞こえた瞬間には,もう袋の中のお菓子は僕の口に流れているところでした。
とっさに袋を口から離しましたが,お菓子はすべて口に入ってしまいました。
それ自体は,弟に申し訳ないと思いました。
しかし悲劇はその先にありました。
僕に残しておきなさいと言った家族が,
「残しておきなさいと言われたから,独り占めするためにお菓子を全部口に入れた」
という主張をしてきたのです。
争点は,「残しておきなさい」という発言と,お菓子を口に流し込んだ事実の先後関係です。
僕は,必死で,聞こえる前に食べてしまったんだと訴えました。
しかし,聞いてもらえませんでした。
泣きながら,自分は無実だと(いう言葉遣いはしてませんが)主張しました。
しかし,受け入れられませんでした。
僕は,弟に取られないようにお菓子を独り占めしたバカ兄貴ということになってしまいました。
僕は当事者ですから,真実を知っています。
この事件は冤罪です。
それ以来,僕は,証拠もないのに何かを決めつけることについて,大きな嫌悪感を抱くようになりました。


はい,くだらない話ですね・・・
でも,僕がいま弁護士として活動をする中で「やっていない」という依頼人の悲痛な訴えを聞くとき,このエピソードが頭をよぎることがあります。もしかしたら,弁護士として今やっていることの根底に,このエピソードの経験があるかもしれません。
刑事事件は,過去の事実があったかなかったかを判断します。ですから,明確な証拠が無い場合も多く,断片的な証拠や,人の証言によって事実があったかなかったかを判断するのです。
そして,時に,僕の嫌悪する「決めつけ」が起こります。
決めつけによって,犯罪者とされてしまったり,刑務所に行かなければならなかったり,場合によっては死ななければならなかったりするようなことがあれば,それはくだらない話ではとても済まされません。
こういう悲劇が起こらないよう,誰もが,当事者の話に真摯に耳を傾けなければいけないと思います。捜査機関や裁判官,もちろん弁護人もです。


普段の弁護活動であれば,依頼人の話を聞くことを怠ることはありません。
それと同じで,僕が将来父親になったりすることがあったら,感情的にならずに,きちんと子どもの言い分にも耳を傾けてあげようと思います。できるか不安ですが・・・(笑)