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2014年6月29日日曜日

「趣味」

刑事弁護ばかりやっているわけではありません。
僕にもプライベートでの「趣味」があります。

どちらかというと多趣味なほうだと思いますが、一番堂々と人に話せる健康的な趣味は
「テニス」
です!

中学生のころからずっとテニスをやっています。
もうテニス歴は15年以上になるということになりましょうか。
中高6年間はもちろん、大学でも、いわゆる体育会の部活動で4年間を過ごしました。
今でも休みを見つけては大学に行き、現役の後輩たちと試合をしています。
まだまだ現役部員には負けません(という気持ちでいます)!

このように、大学まではスポーツに明け暮れていたタイプの人間ですが、そのスポーツの経験が、今の(弁護士としての)自分を形作っているように思います。
テニスも裁判も勝負です。相手の強みをいかに封じるか。自分の強みをどうやって活かすか。相手の弱みをいかにあぶりだすか。自分の弱みをいかに目立たせないか。テニスと裁判は、共通している部分があるようにおもわれます。少なくとも僕は、意識的にやっています。
そして、あきらめない心を養えたというのも重要でした。練習がきつい、試合で劣勢になる、何度も何度も経験しました。なんとか、目標を達成するため、勝つために努力をくりかえしてきたつもりです。結果が出るときも出ないときもありましたが、結果のためにあきらめず、最善を尽くすということを覚えました。刑事裁判も、依頼人の身体が拘束される、証拠を固められて裁判にされる、たいていは逆境から始まります。でも、それがまさにやりがいの源です。劣勢なところから、どうやって自分の依頼人の主張を正しく伝え、劣勢を逆転するかというところに、やりがいを感じます。あの試合の逆転勝利が・・・とおもいだすわけでもありませんが、全く同じ体の感覚を覚えることが多々あるのです。

少々こじつけでしょうか(笑)でも、僕の人生にとってテニスで得たものが大きいことは確かです。
一生の財産として、ずっと続けていこうと思っています。

なお、堂々と人に話せない趣味としては、麻雀、ゲーム、お酒などがあり、それぞれ「弁護活動と共通点がある!」などと話すこともできそうなのですが、ここでは割愛させていただきます。。。

2014年6月20日金曜日

依頼者からの手紙


先日、担当した事件の依頼人からお手紙をいただきました。

事件自体は、それなりの重大事件で、裁判員裁判の事件でした。
検察官の求刑は懲役10年。しかし、判決は、懲役6年6か月でした。
検察官の求刑が適切だったかは相当に疑問のある論告の内容でしたが、ともあれ、我々が求める結論に限りなく近い量刑となりました。

お手紙を通じて、依頼人はこれ以上ない感謝の言葉を述べてくれました。

もちろん、感謝されることを「目的」にやっているわけではありません。
求めているのは、依頼人の感謝ではなく、依頼人の利益です。
感謝されなくとも、依頼人の利益を最大限にするための活動を行う使命があります。
逆に、「頑張ってくれた」と感謝されても、結果が出なければ、その事件に対しては悔しい思いが極めて強く残ります。
最善の結果を求めて、どんな人にも最善の弁護を提供しなければならないと考えています。

しかし、それでも、人から感謝をされるというのはうれしいものです。

今回は、依頼者の利益にもかなう結果が出たから喜べるのかもしれません。
感謝をされることが目的ではありませんが、依頼人の利益を追求した結果として依頼人から感謝されるのは、本当に喜ばしいことです。
明日からもまた刑事弁護がんばろう!ってなります。

いつも結果を保証できる仕事ではありません。
でも、一つでも多く、少しでもよりよい結果を出せるように、日々腕を磨いていきたいと思います。

2014年6月5日木曜日

はじめに

東京ディフェンダー法律事務所所属、弁護士の山本衛と申します。

東京で刑事事件専門の弁護士をやっています。
縁あってこのようなブログを開設することとなりました。
たくさんの方々に読んでいただけることを願っています。

このブログでは、自分の日々の弁護活動を中心に日記的なものから、評論まで雑多につづりたいと思っています。
最初の記事で何を書くかは迷っていましたが、せっかくなので、僕がなぜ刑事弁護専門の弁護士を志したのか、なぜ今こうしてたずさわっているのか、書いてみたいと思います。


「弱い立場に置かれた人の助けになりたい」

そう思って、弁護士を目指しました。そう思って、刑事弁護を志しました。
刑事弁護は、犯罪を犯してしまった人、あるいはそう疑われた人を弁護する仕事です。彼らを弁護することは、弱い立場というにはピンとこないかもしれません。
弱い人の助けになりたいなら、消費者、労働者、被害者、ほかにもたくさん救うべき弱者がいるだろうと。

みんながそう思います。社会の大勢が、そう思います。
しかし、そのことにこそ、僕が刑事弁護を選ぶ理由があるのです。
罪を犯した人、罪を犯したと疑われた人は、人々に社会の敵とみなされます。刑事事件に巻き込まれたというだけで、社会に味方がいない。そのこと自体が、決定的に、罪を犯した人、罪を犯したと疑われている人を弱者たらしめています。
それをわかった上で、彼を助けることができるのは、弁護士しかいません。
そして、現実にも、捜査機関などの国家機関によって身体を拘束され、厳しい糾問の対象になり、大きな危険にさらされる弱者となります。弁護士は、このような刑事事件に巻き込まれた人を守る使命を負っていると思います。

弁護人がいなかったら、多くの声、それを代表する検察官によって、被告人は悪い奴であると糾弾されます。
弁護人は、これに反対の視点を投げかける役割を持っています。
検察官が「彼は有罪だ」といえば、弁護人は「彼は無罪だ」
検察官が「彼のやったことはひどいので懲役○年にすべきだ」といえば「彼には△△の事情があるので刑は軽くすべきだ」と。
お互いに論争をすることによって、システムとして公平な裁判が成り立つわけです。

ですから、弁護人にとって重要なのは、徹底的に依頼人の利益を追求することです。
依頼人の主張を、法的に精密な戦略に昇華し、勝利を追求する。弁護人はいわば依頼人の武器です。
依頼人の武器となり、徹底的にその利益を追求するために、弁護人は存在します。

その思いで刑事弁護士を志し、その思いで今も刑事弁護に携わっています。



実はこの文章、僕が弁護士になる前に、当時流行していたSNSに書き記したことをまとめたものです。
今見返してみて、当時と気持ちが変わっていなく、安心しました。

今後も、この思いを胸に、日々の事件に全力を投じたいと思います。